東京高等裁判所 平成2年(ネ)1912号 判決 1991年1月22日
控訴人
甲野裕章
同
甲野由里子
右両名訴訟代理人弁護士
竹久保好勝
同
大南修平
被控訴人
乙川一郎
右訴訟代理人弁護士
久連山剛正
主文
本件各控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
一 控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
二 当事者双方の主張並びに証拠関係については、左に付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決四丁表一行目の「の所有権」を「に対する使用貸借契約の終了」と訂正し、同五丁裏一行目の「よう」の次に「な」を加入する。
2 同七丁表五行目の「所有権に基づき同建物の」を削除し、同七行目の「確保す」の次に「る」を加入する。
3 当審における証拠関係は、本件記録中の当審書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一(本件使用貸借契約の締結について)
被控訴人が、昭和五七年五月ころ、二女の控訴人由里子が控訴人裕章と結婚するにあたり、同控訴人らを本件建物に同居させ、その際、同控訴人らとの間で、被控訴人所有の右建物につき使用貸借契約を締結したことは、当事者間に争いがない。
二(本件使用貸借契約の解約について)
1 被控訴人は、本件使用貸借契約を締結するにあたり、当事者間において、右貸借の期限として控訴人ら夫婦の間に子供が生まれるまでとの約定であった旨主張し、被控訴人本人尋問の結果中には右主張に沿う供述部分が存するが、証人早野ヒロの証言、控訴人由里子本人尋問の結果に照らすと、にわかに信用できず、他に右約定の存在を認めるに足りる証拠はない。
2 次に、本件使用貸借につき、予め使用・収益の目的が定められていたか否かにつき判断するに、<証拠>によると、被控訴人は、妻ヒロとの間に、二女である控訴人由里子のほかに、長女淑子及び三女美奈子をもうけたものの、長女と三女はすでに他家に嫁いでいたことから、将来二女に婿養子をもらって同居する予定でいたところ、控訴人由里子の結婚相手である控訴人裕章がたまたま長男ということもあって、被控訴人との養子縁組は実現しなかったこと、しかしながら、控訴人由里子が本件建物の新築費のうち二〇〇万円を出捐したこともあり、控訴人らは、昭和五七年五月に結婚するにあたり、すでに定年退職して年金生活を送っていた被控訴人及びヒロ夫婦の老後に備え、その身辺の世話等をするとともに、控訴人ら家族の住居費等の補填を図るため、被控訴人との間で、本件建物内に同居し、無償でこれを使用することの合意が成立したことが認められ、被控訴人本人尋問の結果中右認定に抵触する部分はにわかに信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定事実によれば、本件は、主として控訴人ら家族の住居を確保するためのほか、併せて年老いていく被控訴人夫婦の老後の身辺の世話等をすることを使用・収益の目的とした期限の定めのない契約であるということができる。
3 ところで、使用貸借契約を締結するにあたり、使用・収益の目的が定められていても、借主に貸主の信頼を裏切るような背信行為があるとき、その他貸借当事者間における信頼関係を破壊するような特段の事情があるときは、民法五九七条二項但書を類推適用して貸主は、借主に対し、使用・収益の目的が終わらない前でも使用貸借の解約を申し入れすることができるものと解するのが相当であるところ、被控訴人が、昭和六三年一一月一七日、控訴人らを相手方として、横浜家庭裁判所小田原支部に対し、本件建物の明渡しを求める親族関係調整調停事件を申立てたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右調停事件において、被控訴人は、控訴人らに対し、本件使用貸借契約を解除する旨申し入れたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そこで、次に、被控訴人がなした本件使用貸借契約の解除が有効であるか否かを検討するに、<証拠>を総合すると、次の各事実を認めることができ、被控訴人本人尋問の結果中、右認定に抵触する部分はにわかに信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 被控訴人は、性格的にかなり頑固な面があるうえ、老人特有の猜疑心も人一倍強く、旧国鉄を定年退職した昭和五二年ころから、妻ヒロが無断で自己名義の銀行預金口座から一〇〇万円を勝手に払い戻して同女の実家のために費消しているとか、自分の大切にしている皿を実家に貸したまま返還を受けないでいるなどと言っては妻ヒロを一方的に責め立てたり、近隣の人と言い争うなどしたため、被控訴人と妻ヒロとの夫婦関係は次第に気まずくなり、控訴人らが本件建物において被控訴人と同居する以前からすでに円満を欠いた状態にあった。
(2) 控訴人らは、昭和五七年五月に結婚すると同時に被控訴人夫婦との同居生活を開始したが(控訴人由里子は結婚前から同居していた。)、その後も相変わらず被控訴人夫婦間の喧嘩口論が絶えず、時には興奮の余り被控訴人が妻ヒロに向かって手を挙げるようなこともあり、その都度、二人の仲裁に入っていたが、被控訴人は、控訴人らが妻ヒロの肩のみを持って自分を責めていると不信の念を抱くようになり、被控訴人夫婦間の反目対立関係から被控訴人対妻ヒロ及び控訴人らとの対立関係に発展し、被控訴人は、昭和六〇年ころからは、事ある毎に控訴人らに対し本件建物からの退去を再三要求するようになり、同年末から翌年一月にかけて控訴人らと被控訴人との間において喧嘩口論の末、暴力沙汰を繰り返し、控訴人裕章の暴力により被控訴人が入れ歯を折るとか、頭部や腰部打撲等の怪我をするという事件まで起きるに至った。
(3) 控訴人らは、日増しに険悪となってきた被控訴人との同居生活に困り果て、警察や役所等に相談に行くなどその対応に苦慮していたところ、昭和六二年二月、控訴人由里子と被控訴人との間で些細なことから言い争いが始まり、隣人の連絡で警察官が駆けつけるという事態になり、被控訴人は従来精神的疾患で治療を受けたことはないのに、控訴人らは、母ヒロとも相談したうえ、被控訴人を精神病院である平塚病院に入院させた。控訴人ら及び妻ヒロは、外泊許可により帰宅した被控訴人から、早期に退院の手続をとるよう懇願されたものの、現状で被控訴人が家に戻っても再び従前同様の喧嘩口論の生活が始まるだけであるとして、これに応じなかったため、被控訴人は、やむなく同年七月ころ散髪のため外出した機会に姉岸ハルに連絡して被控訴人の身元引受人になってもらい、同病院を退院し、その後は肩書住所地のアパートで独り暮らしの生活をしている。しかし、同病院の医師から通院も服薬も求められていない。
(4) 被控訴人が右精神病院に入退院したころには、控訴人らと被控訴人は、互いに相手方を強く非難するのみで、本件建物内で共同生活を営む前提たる信頼関係は全く喪失し、いわば家庭内別居の状態にあったものであり、被控訴人が精神病院退院後は、被控訴人と控訴人ら夫婦とは別居生活を続けて現在に至っており、更に、被控訴人の妻ヒロは、被控訴人を相手方として、離婚訴訟を提起して現在係争中の状況にあり、現状では双方とも本件建物内で今後同居生活を再開する意思も見込みも全くない。
右の事実関係に照らすと、被控訴人と控訴人らとの対立関係は極めて深刻な状態に立ち至っており、しかも今後、早期にその修復が図られることを期待する客観的な状況になく、また、右対立関係が発生した原因については、控訴人らと被控訴人の双方に責任があり、結局は双方に相互理解と濃やかな愛情に基づき、建設的な共同生活を営もうとする意欲ないし姿勢が欠落していたというべきであるが、いずれかといえば控訴人らに老人である被控訴人に対する対応につき当を得ない点が見受けられ、特に精神病院に入院の必要性まで疑わしいのに強引に入院させ、その結果、被控訴人に本件建物からの退去を余儀なくさせたことは背信行為といわざるを得ない。
そうすると、本件使用貸借の基礎である貸主と借主との基本的な信頼関係がすでに完全に喪失し、その回復も極めて困難な状況にあり、しかも控訴人らの方により帰責事由があると認められる以上、被控訴人は、本件使用貸借を解除することができるものというべきである。
4 控訴人らは、本件使用貸借契約の終了に基づく本件建物の明渡し請求をもって権利の濫用にあたる旨主張するが、前記認定に係る本件の事実関係に照らすと、控訴人らの指摘する事情を十分考慮に入れても、いまだ本件建物の明渡請求をとらえて権利の濫用にあたるものということはできないし、他にこれを認めるに足りる証拠もない。
三以上の次第で、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は、結局相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官時岡泰 裁判官沢田三知夫 裁判官板垣千里)